本記事にはPRを含みます。また、ヒカルの碁のネタバレを含みます。
AmazonでKindle本マンガフェスをやっている。人気のマンガが50%ポイント還元で、そのラインナップに「ヒカルの碁」があったため思わず買ってしまった。昔はもちろん紙の漫画も持っていたがやはりいつでも気軽に読める電子書籍は良い。
私はヒカルの碁が大好きである。幼少期からこれまで、何度読み直したかわからない。
好きな理由はいくつもあるが、私が特に気に入っているのはヒカルの碁22巻、北斗杯中国戦のあるシーンである。
北斗杯編についてはヒカルの碁のファンの中でも賛否があるようだ。しかし、私は日中戦のシーンこそが「ヒカルの」碁の集大成であると確信している。ヒカルの碁の素晴らしさは様々な媒体で語り尽くされているとは思うが、私も自分なりの視点で語ってみようと思う。
「藤原佐為」と言う保護者の存在と自我の目覚め

ヒカルの碁は、それまで全く囲碁に興味がなかった主人公の進藤ヒカルと藤原佐為が出会うところから始まる。佐為はヒカルにしか見えない幽霊だが作中でも最強の囲碁の棋士である。佐為に代わりに打ってもらうことにより、ヒカルは囲碁の素人なのにどんどん作中の強者に注目される存在になっていく。
ヒカルは最初自分で囲碁を打つ気はなかった。佐為の力を使えば囲碁のプロに簡単になれ、簡単にお金を稼げるのではと妄想していたくらいだ。
彼はその後ライバルとなる塔矢アキラと出会う。彼は現代の最強棋士である塔矢行洋の息子であり、彼自身もすでにプロ級の腕前を持つ。塔矢アキラはヒカルに負けるが、実際にはそれはヒカルが打ったのではなく、佐為が打っていたのである。
本気で悔しがり、それでもなお向かってくる塔矢アキラの真剣さに打たれ、佐為ではなく自分が囲碁を打つことにヒカルは目覚めるのであった。
ヒカルの碁の最初の導入はこんな感じだが、まさしく人生だ。何も知らない・何もできない存在である自分に対して、保護者がなんでも手を焼いてくれる。そのうち周りがやっているのをみて自分がやってみたくなり、一歩を踏み出す。
産まれたての時だってそうだし、学校でもそう。レベルは違えど、社会に出てもそういったことの繰り返しである。保護者や先生、トレーナーなどの上位者に教えてもらい、やり方を見て、自分でも真似てやってみる。上位者が全部やってくれたら楽なのにな・・・などと少し考えながら。
成長と保護者の影

ヒカルは順調に囲碁が強くなり、いろいろな勝負を勝ち進んでいく。強くなるために毎日佐為とも囲碁を打つ。
そんな中、ヒカルの打ち方がまるで自分のようだと佐為が気付く。ヒカルは、自身ではいい手が思い浮かばない時に「佐為だったらどうするか?」と考えながら打っていたことを明かす。そのようにすることで、いい手が思い浮かぶことがあるのだという。
そんなことを考えながら、ヒカルは勝負を勝ち進み、ついには囲碁のプロ棋士となる。
ヒカルの成長が見られるシーンである。しかし、佐為の影響が強いことを示すシーンでもある。
誰しも、自身が憧れる上位者のやり方を真似る。自分がやらないといけない場面でも、「あの人だったらどうするか?」を考えたりすることもあるのではないだろうか*1。ヒカルはまさにそれを実践し、勝負に勝っていく。
佐為が打っているわけではないので勝利はヒカルの実力によるものではあるものの、間接的に佐為に頼っているわけである。
自立と存在価値

ヒカルは順調に強くなっていくが、佐為とは別れることになる。ヒカルは一時期囲碁から離れるほど落ち込むものの、その悲しみを乗り越え、再び囲碁の世界に戻る。
ライバルである塔矢アキラと切磋琢磨しながら実力をつけたヒカルは、日中韓の若手が競う大会(北斗杯)に日本代表として出ることとなる。
ヒカルは中国に団体戦の副将として挑むが、対局の途中で解説者から「これはすでに終わった碁」とまで言われてしまうほど酷い戦いを見せてしまう。
そしてこのシーンである。佐為がいなくなった悲しみから立ち直り、囲碁に邁進するヒカル。強敵の中国との対決で気負い過ぎてしまい、ボロボロである。
自分の力では、ここから立て直すことはできないと考えてしまうヒカル。しかし、もう佐為はいない。
佐為はいない。そう、「この碁を投了するのも立て直すのも」「ここにいるオレしかいない!」
私は、私自身が才気あふれる人材だとは思えていない。私のこれまでの人生の中で、「私でなく、あの人だったらもっと上手くやるんだろうな・・・」と思うシーンに幾たびも出会ってきた。勉強も、スポーツも、会社での仕事でも、そう言う場面だらけだ。正直投げ出したくなる気持ちになることもある。
その度に私を救ってくれたのが、このセリフである。そう、その状況をもっと上手く捌ける人は、この世にいくらでもいるだろう。でも、その時、その場所にいるのは私しかいない。なんとかするのも、投げ出す選択ができるのも、私しかいない。
人生では、時折自身の無力感に苛まれることがある。結果的に、どうにもならないことも多い。だが、その場でそれをどうにかすることができたと言うこと自体が、最大の存在価値である。そう言うふうに思わせてくれる最高のシーンだと、私は考えている。
